熊野本宮大社例大祭
概要
熊野本宮大社例大祭は、和歌山県田辺市本宮町に鎮座する熊野本宮大社で毎年4月13日から15日にかけて執行される大規模な祭礼である。同社の年間行事の中で最も重要な祭典であり、一年の豊穣と地域の安寧を祈念する目的を持つ。祭礼は3日間にわたり、湯登神事・船玉大祭・御田祭という三つの主要神事で構成される。
この例大祭の特徴は、神道の祭祀と修験道の儀礼が融合した独自の形態を保持している点にある。特に和歌山県指定無形民俗文化財に指定されている湯登神事(1966年4月12日指定)や御田祭(1966年4月12日指定、2019年5月24日に名称変更・追加指定)は、千年以上の伝統を有する神事として知られる。熊野本宮大社は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つであり、例大祭はこの文化的景観の中で現在も継承されている。
歴史・由来
熊野本宮大社の創建については、社伝によれば第十代崇神天皇65年(紀元前33年)に遡るとされる。当初は熊野川の中洲である大斎原(おおゆのはら)の地に創建されたと伝えられており、上四社・中四社・下四社の十二社が立ち並んでいた。この旧社地は現在も大斎原として崇敬の対象となっており、例大祭の神輿渡御の目的地として重要な役割を果たしている。
例大祭の起源は、熊野権現の本地垂迹説に基づく信仰と密接に関連している。熊野信仰においては、湯の観念が核心的な要素を占めており、「熊野権現垂迹縁起」では大斎原が「大湯原」と表記される事例も確認されている。この湯に関する観念は、例大祭の中心的儀礼である湯登神事に顕著に表れており、熊野地方の地熱活動と信仰が結びついた独自の祭祀形態を形成している。
明治22年(1889年)8月に発生した十津川大水害は、熊野本宮大社の社殿と祭祀のあり方を根本から変える契機となった。この水害により熊野川は大洪水を引き起こし、中四社と下四社の全ての建物が流出する壊滅的な被害を受けた。残された上四社は明治24年(1891年)に現在の高台の地に移築・遷宮され、例大祭もこの地で継承されることとなった。被害の背景には、明治以降の急激な山林伐採による保水力の喪失があったとされる。
例大祭の神事のうち、湯登神事と御田祭は1966年(昭和41年)4月12日に和歌山県指定無形民俗文化財に指定された。その後2019年(令和元年)5月24日には指定名称の変更と追加指定が行われ、文化財としての保護体制が強化されている。また、例大祭で使用される参詣道の一部である大日越えは、2002年12月19日に国の史跡「熊野参詣道」の一部として追加指定され、2004年には世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産となっている。
見どころ
湯登神事(ゆのぼりしんじ) 湯登神事は4月13日に執行される和歌山県指定無形民俗文化財である。この神事は、氏子の3歳以下の子弟が稚児として神の憑坐(よりまし)となる儀礼で、父親が稚児を抱えて湯の峰温泉の湯宿「あづまや」まで移動する。意味としては、温泉の湯力を介して神霊を稚児に降臨させるという熊野信仰独自の神観念を具現化したものと解される。
八撥神事(やさばきしんじ) 八撥神事は稚児が胸に吊るした小さな太鼓を叩きながら、「さがりやろー」「あがりやろー」の唱え声に合わせて左右に回転する舞楽である。「八撥」の字義は神聖数である八とハネルに通じる撥の字を重ねており、祓えの行事としての性格を有する。舞の終了後には稚児の額に「大」の字が記され、稚児は神の憑坐となったとされるため、八撥神事の時以外は地面に下ろしてはならず、父兄が「ウマ」と呼ばれる肩車の形で移動させる。
御田祭(おんださい) 4月15日に執行される御田祭は、本殿祭と神輿行列が大斎原の御旅所に渡御する渡御祭の二部構成である。神輿へ神霊が移された後、神職を先頭に熊野山伏・挑花・舞人・稚児・神輿・神官・伶人・氏子総代ら百人を超える行列が形成される。この渡御は、熊野権現の花の窟から大斎原への遷座にまつわる神話を再現しているとされる。
大和舞と巫女舞 御旅所では、烏帽子に狩衣姿の少年4人による大和舞が最初に披露される。舞に続いては白地に烏模様の打掛姿の少女4人による巫女舞が奉納され、熊野権現の遷座にまつわる神歌「有馬窟の歌」「花の窟の歌」が唄われる。これらの舞は、神話的世界を現前させることで、参拝者に神代の情景を想起させる効果を持つ。
田植舞(たうえまい) 御田祭の名称の由来となる稚児舞であり、祭場を田に見立てて田植えの所作が演じられる。この舞は秋の収穫を予祝する意味を有しており、農業神事としての性格を色濃く残している。稚児たちの可憐な動作は、単なる模倣を超えて、実際に田の実りを招来する行為として信仰されている。
採燈大護摩(さいとうおおごま)と挑花(ちょうか)の奪い合い 神事と並行して祭場の前方では、熊野修験本庁の修験者らが護摩壇に火を焚き上げる採燈大護摩が修される。また、挑花に挿された造花を参拝者たちが競って奪い合う行事も行われ、この造花は福を招くと信じられている。かつては挑花を田に挿すと虫害から田を守ると伝えられており、花が実りの予兆であることから、秋の収穫を予祝する意味が付与されていたと解される。
開催情報・アクセス
- 開催時期:例年4月13日から15日。最新の開催日程・実施可否については熊野本宮大社公式サイトで確認。
- 開催場所:和歌山県田辺市本宮町本宮1110 熊野本宮大社(御旅所は大斎原)。
- アクセス(公共交通機関):JRきのくに線「新宮駅」から熊野本宮大社行きバスで約1時間、「本宮大社前」下車。またはJRきのくに線「紀伊田辺駅」から熊野本宮大社行きバスで約1時間30分から2時間、「本宮大社前」下車。ただしバスの本数は限られており、午前中に到着する便は数便しかない。
- アクセス(自動車):京阪神方面からは阪和自動車道・紀勢自動車道経由。名古屋方面からは国道42号経由。
- 料金:祭礼の沿道見学は無料。有料観覧席等の設置は例年なく、参拝者はいずれの場所からも自由に拝観可能。
- 駐車場:熊野本宮大社瑞鳳殿前に無料駐車場(約50台、大型車8台)、同社瑞鳳殿隣に2時間まで無料の駐車場、熊野川河川敷に無料の大型駐車場(200台以上)が利用可能。例大祭期間中は駐車場の混雑が予想されるため、早めの到着が推奨される。
周辺情報
大斎原(おおゆのはら)は、熊野本宮大社の旧社地であり、現在も中四社・下四社の祭神を祀る2基の石祠が建立されている場所である。明治の大水害で社殿が流出した後も、この地は熊野信仰の聖地として崇敬を集め続けている。大斎原に立つ巨大な鳥居は高さ約34メートルを誇り、熊野川の中洲にそびえる姿は圧巻である。例大祭の神輿渡御はこの大斎原を目指して行われ、祭礼のクライマックスを形成する。
湯の峰温泉は、熊野本宮大社からほど近い場所に位置する歴史ある温泉地である。湯登神事では稚児とその父兄がこの湯の峰温泉の湯宿「あづまや」まで行列を組んで進む。温泉地には熊野参詣道の一部である湯の峰王子が鎮座し、4月13日午後1時からはここでも祭典が執行され八撥神事が奉納される。湯の峰温泉は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部にも含まれており、古くから熊野詣での湯垢離場として利用されてきた。
熊野古道は、熊野本宮大社を中心に放射状に広がる参詣道の総称である。例大祭で使用される大日越えは全ルートが国の史跡および世界遺産に登録されており、参拝者はこの古道を辿ることで中世の熊野詣での雰囲気を体感できる。また、熊野本宮大社の社殿は標高の高い場所に位置しており、158段の石段を登った先に本殿が鎮座する。例大祭の神輿渡御では、この石段を神輿が下り、帰りには担ぎ手が気合を入れて駆け上がる光景が見られる。
関連情報
- 熊野本宮大社は、式内社(名神大社)、旧官幣大社、別表神社に列格する由緒ある神社である。主祭神は家都美御子大神。
- 例大祭の湯登神事・御田祭は、和歌山県指定無形民俗文化財(1966年4月12日指定、2019年5月24日追加指定・名称変更)であり、保存団体は熊野本宮大社神事保存会。
- 同社には他にも八咫烏神事(1965年9月20日指定)や御竈木神事(1966年4月12日指定)などの文化財指定行事がある。
- 熊野本宮大社の例大祭は、神仏霊場巡拝の道第4番(和歌山第4番)の札所としても位置づけられている。
- 例大祭に関連する文化財として、大日堂の石仏が和歌山県指定有形文化財(美術工芸品〈彫刻〉、1967年4月14日指定)に指定されている。
- 熊野本宮大社の社殿様式は、第一殿・第二殿が入母屋造、第三殿・第四殿が切妻造(正面)・入母屋造(背面)となっており、各殿の建築様式の違いが観察できる。
出典・関連リンク
- 📚 出典: Wikipedia, Wikidata (CC BY-SA 4.0)
- 🇯🇵 Wikipedia (日本語)
- 🔁 English version: Kumano Hongu Taisha Annual Festival