概要

本町の八月踊り(ほんまちのはちがつおどり)は、鹿児島県肝属郡肝付町に伝承される民俗芸能である。隔年(偶数年)の9月第4土曜日の夜に、五穀豊穣と無病息災を祈願して踊られる、鹿児島県指定の無形民俗文化財である。大隅半島の肝属川流域と奄美に広く伝わる「八月踊」の一つで、太鼓・鉦・三味線・胡弓の音に合わせ、独特の衣装をまとった人々が櫓を囲んで輪になって踊る。民俗学写真家の須藤功は、その光景を「西馬音内の盆踊りと風の盆を合わせたような感じがする」と評しており、胡弓の音色や覆面、古風な衣装が見る者に強い印象を残す。

歴史と由来

本町の八月踊りの起源には諸説あり、一定していない。古くは1671年(寛文11年)、灌漑用水路の竣工を記念して踊りが奉納されたといわれるが、根本にあるのは豊作への感謝の心だと考えられている。『串良町郷土誌』によれば、八月踊りは神霊への祭祀と収穫の祭りが一体化したもので、もともと水神祭と八月踊りは別々に行われていたという。元禄年間(1688年〜1704年)以降、とくに文化・文政年間(1804年〜1830年)から盛んになったとされる。なお、大隅半島に広く伝わる八月踊りは宮崎県南部からの影響が大きいと指摘されており、鉦踊りの後に手踊りが延々と続く形式は、日向(宮崎県)側の盆踊りがそのまま伝わったものだという。薩摩半島や大隅半島で盆の時期に手踊りをする地域はごく限られ、その多くが島嶼部であることから、薩摩藩による一向宗弾圧で盆踊りが禁じられたため、七月盆(旧盆)ではないことを強調しようとして、あえて「八月踊り」と呼んだのではないか、とも考察されている。

見どころ

夕方、踊りに先立って行われる「水神祭」が一つの見どころである。町内に祀られる水神の祠に五色の紙旗を立て、太鼓と鉦の音頭に合わせて、紋付羽織の男たちが輪になり、唄いながら左右の足を交互に揺らして踊りを奉納する。この踊りは「鉦踊り」または「水神様の法楽(ふらく)」と呼ばれる。日が暮れると、本町中央町通りに組まれた櫓を囲んで八月踊りが始まる。男性は藺草の陣笠に黒の紋付羽織、女性は浴衣に黒帯を合わせ、若い娘は華やかに、婦人は黒の御高祖頭巾と白鉢巻で淑やかに装う。櫓では三味線・太鼓・拍子木・胡弓が合奏し、「五尺」「思案橋」「大阪京町」など14曲が歌われる。

開催情報・アクセス

開催は隔年(偶数年)の9月第4土曜日の夜。会場は肝付町新富の本町中央町通りである。かつては毎年、旧暦8月18日に稲の収穫を祝って奉納されていた。踊りの途中には「なかあがい」と呼ばれる休憩が挟まれ、その後は自由服となって、町民以外の一般の人も踊りの輪に加わることが許される。鹿児島県の大隅半島南部に位置する肝付町は、公共交通の便が限られるため、訪れる際は事前に交通手段を確認しておくとよい。

周辺の見どころ

肝付町の周辺、肝属川流域や鹿屋市には、同じ系譜に連なる八月踊りが数多く伝承されている。鹿屋市祓川町の「祓川町八月踊り」(市指定無形民俗文化財)、鹿屋市吾平町の八月踊り、東串良町の「唐仁の八月踊り」、志布志市有明町の「蓬原中野の八月踊り」などがその例で、地域ごとに少しずつ趣の異なる踊りを見比べることができる。大隅半島は豊かな自然と農業に育まれた土地で、各地に残る民俗芸能とともに、その風土を味わうことができる。

関連情報

本町の八月踊りは、1962年(昭和37年)10月24日に「高山町本町の八月踊」として鹿児島県の無形民俗文化財に指定された(指定当時の自治体名による)。日向系の盆踊りの伝播、薩摩藩の宗教政策との関わり、水神信仰と稲作の結びつきなど、南九州の歴史と民俗を映し出す貴重な芸能である。隔年開催であるため見る機会は限られるが、それだけに地域の人々によって大切に受け継がれてきた踊りといえる。


出典・関連リンク

鹿児島県の他の祭り

秋の祭り

← 他の祭りを探す