概要

本町の八月踊りは、鹿児島県肝属郡肝付町新富の本町地区に伝わる伝統芸能であり、五穀豊穣と無病息災を祈願して行われる水神祭行事である。1962年(昭和37年)10月24日に鹿児島県の無形民俗文化財に指定され、現在は本町八月踊り保存会によって継承されている。この踊りは、かつて肝属川沿いの70か所以上の地域で踊られていた八月踊りの一つであり、肝属川流域に広がっていた八月踊りの伝統を今に伝える貴重な文化財である。

本町の八月踊りは、夕刻に行われる「鉦踊り(かねおどり)」と、夜に行われる「八月踊」の二部構成となっている。かつては旧暦8月18日に行われていたが、現在は例年9月第4土曜日に行われている。近年は「表年」と「裏年」を毎年交互に設けており、表年は一般に公開され、裏年は集落内のみの非公開で執り行われる。行事そのものは毎年営まれ、一般が見学できるのが一年おきという形である。踊りの起源については複数の説があり、詳細な来歴は不明な点も多いが、江戸時代までさかのぼると伝えられている。

歴史・由来

本町の八月踊りの由来については複数の説が存在する。一説によれば、1671年(寛文11年)の春、高山用水路(新富)工事が竣工し、石高2,000石が開発された際、その新溝記念碑が建立されたことを奉納して踊りが始まったと伝えられている。また、開田や用水路竣工祝、豊年祭、慰霊、安泰祈願などの諸説もある。言い伝えによれば、この行事は集落全体の水神様祭りの儀式から発生したものといわれており、神事芸能として神霊祭祀の祈願と感謝祭の性格を併せ持っている。

八月踊りの伝播経路について、肝付町の歴史民俗資料によれば、起源の一つの説として、大阪・琉球との貿易の拠点として繁栄していた波見港・柏原港周辺の地域で踊られ始め、そこを起点に肝属川上流へ伝わったという考え方がある。この説の根拠として、上流に向かうほど地域に伝え残る唄の数が少ないことが挙げられる。また、川沿いの地域にだけ伝わった理由としては、それぞれの地域が開田を行う上で水路など整備しやすい環境にあり、その整備の記念に取り入れていったためと考えられている。

各地に伝わる八月踊りの特徴として、手首の返しに見られる「南方系の優雅な手の動き」と「唄に出てくる上方(大阪)文化」という点が共通している。歌詞には、当時表立って歌うことを禁じられていた赤穂浪士の話なども登場する。このことから、大阪での流行り唄と琉球に伝わる優雅な手の動きが、肝属川のほとりで融合し、各地へと伝わったのではないかと推測されている。

戦時中は中断を余儀なくされたが、昭和20年代半ばに再開されたと伝えられる。実施状況や見学の可否は年により異なるため、最新の情報は肝付町の公式発表で確認したい。しかし後継者不足という深刻な問題に直面し、2008年(平成20年)6月、本町八月踊り保存会は「本町振興会にこだわらず、踊り手や楽器奏者の習い手を町内から広く募集する」という決断を下した。長年の慣習よりも、踊りを伝え残すことを選択し、踊りや楽器演奏の講座を開き、外部からの参加者を募集するようになった。この決断により、今日まで八月踊りは受け継がれている。

見どころ

鉦踊り(かねおどり)の法楽奉納 夕刻、空が赤く染まる頃に「鉦踊り」が法楽(ふらく)として始まる。本町の3か所の水神様の祠を、鉦と太鼓の音を調べに歩いて回る。各祠の前では円陣を組み、腰に手を当て、鉦と太鼓の音に合わせて歌いながら、足と手のみを動かす単純で儀式的な踊りが奉納される。

哀愁を帯びた胡弓の音色 夜になると本町中央町道に組まれた櫓の上で、三味線、胡弓、太鼓による哀愁を誘うしらべが奏でられる。とりわけ胡弓の音色は、古式ゆかしく哀愁をいざなうものとして評価されている。この伴奏に合わせて、唄い手が櫓の上で唄い始めると、踊り手が輪になって踊り出す。

優雅な手首の動き 踊りの最大の特徴は、手首と指のリズミカルな動きに見られる。この手の振りは「南方系の優雅な手の動き」と評され、琉球文化の影響を色濃く残している。踊り手は櫓の周囲に輪をつくって踊り、手の振りの中に独特の動きがあり、優美な踊りと音色で見る者を魅了する。

伝統的な衣装 男性の踊り手は浴衣に黒い紋付羽織、藺草(いぐさ)でつくった鳥追笠(ジン笠)をかぶり、草履を履く。女性の踊り手は浴衣に黒帯を締め、裾綿入れ裾模様の着物を着用する。また中年の婦人はお高祖頭巾に白鉢巻き姿で、顔の両面に金箔銀箔の紙片を下げる場合もある。お高祖頭巾は江戸から明治にかけて流行した女性の被り物であり、装束のひとつひとつに時代の名残がうかがえる。なお鳥追笠は半月型の笠で、戦後には丸い管笠が用いられることもあった。

櫓を囲む輪踊り 八月踊りの中心となるのは、櫓の周囲を踊り手が輪になって踊る形式である。音頭(おんず=踊り上手)が先頭に立ち、唄い手が櫓の上で次々と踊り歌を唄う。踊り歌はかつて14曲あったが、現在歌われているのは9曲のみで、「五尺」「一ッとの」「お久米句読」「思案橋」「万次郎句読」「おはら万女」「平佐句読」「船頭衆」などが伝わる。

若い男女の出会いの場としての意義 八月踊りは農村における最大の慰安娯楽であるばかりでなく、若い男女の出会いの場としての社会的な意義も持っていた。踊りの途中の休憩(ナカアガイ)以後は服装が一定せず、顔に鍋墨(ヘグロ)をつけたり、破れ着物を着たり、滑稽な所作で演じられることもあったと伝えられる。この自由な雰囲気が、地域の交流を促進する役割を果たしていた。

開催情報・アクセス

  • 開催日時:例年9月第4土曜日。15時頃から21時頃まで。最新の開催日程・実施可否は公式サイトで確認。
  • 開催場所:鹿児島県肝属郡肝付町新富の本町集会所周辺。表年には本町中央の道路上に櫓が組まれる
  • 料金:無料(表年の一般公開時)
  • 問い合わせ先:肝付町生涯学習課(電話:0994-65-2594)、または肝付町歴史民俗資料館(電話:0994-65-0170)
  • 交通アクセス:垂水フェリー乗り場から車で約50分、鹿児島空港から車で約110分
  • 駐車場:約30台(無料)
  • 文化財指定:1962年(昭和37年)10月24日、鹿児島県指定無形民俗文化財

周辺情報

肝付町は鹿児島県大隅半島の東南部に位置し、東シナ海に面した温暖な気候の地域である。町の特産品として、香り豊かな柑橘類「辺塚だいだい」が有名で、GI(地理的表示)登録されている。本町の八月踊りを訪れる際には、地元の特産品を味わうことも楽しみの一つである。また、肝属川流域には歴史的な港町の面影を残す波見地区や柏原地区があり、かつて琉球や大阪との交易で栄えた往時をしのぶことができる。

肝付町には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の内之浦宇宙空間観測所があり、ロケット打ち上げの拠点として知られている。この宇宙関連施設と伝統的な八月踊りという対照的な二つの顔を持つ町の文化を比較しながら訪れるのも興味深い。また、肝属平野一帯には水神様の石祠や石碑が点在しており、八月踊りと同様の水神信仰の痕跡を各地で見ることができる。

周辺の観光スポットとしては、鹿児島湾を望む垂水温泉や、大隅半島の国立公園に指定されている雄大な景観が楽しめる場所がある。肝付町歴史民俗資料館では、八月踊りの歴史や衣装、楽器に関する展示が行われており、祭り当日以外でも八月踊りの文化に触れることができる。

関連情報

  1. 本町の八月踊りは、1962年(昭和37年)10月24日に鹿児島県の無形民俗文化財に指定された。
  2. 踊りはかつて旧暦8月18日に行われていたが、現在は例年9月第4土曜日に行われ、一般公開される表年と非公開の裏年が毎年交互に巡ってくる。
  3. 踊り歌は14曲あったが、現在歌われているのは9曲のみである。
  4. 本来の踊り手は16歳から26歳が主であったが、近年は若者が少ないため小中学生や高齢者も参加している。
  5. 踊りの起源については、1671年(寛文11年)の高山用水路竣工説、開田記念説、豊年祭説など複数の説がある。
  6. 踊りの伴奏には三味線、胡弓、太鼓が用いられ、とりわけ胡弓の音色が特徴的である。
  7. 歌詞には赤穂浪士(忠臣蔵)の話が登場することがあり、当時表立って歌うことを禁じられていた内容が含まれている。
  8. 本町八月踊り保存会は2008年に門戸を広げ、町内外からの参加者募集を開始した。
  9. 肝付町役場の公式サイトおよび肝付町観光案内所のサイトで詳細情報が公開されている。
  10. 表年は一般公開され自由に見学可能だが、行事の妨げにならないよう配慮が求められる。

出典・関連リンク

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